悪循環物語
「悪循環1」
日々の仕事に追われる生活をしているAさんは、歯肉の腫れと痛みがあったため歯科医院を受診しました。 検査の結果、重度の歯周病と診断されました。2回ほど通院し歯石の除去や歯ブラシの指導を受けましたが、 症状が消えたことと仕事の忙しさから、Aさん自身の判断で通院するのを中断してしまいました。
仕事をしている人の多くは、つい目先の仕事を優先してしまうものです。しかしそれによって、数年後には仕事への影響がさらに大きくなってしまうことを今一度認識しなくてはなりません。ちなみに歯周病は症状が消えても治ったわけではありません。火の手があがっていないだけで、火ダネはくすぶり続けているのです。そして少しづつですが確実に進行してゆくのです。
「悪循環2」
その後も時々歯肉が腫れることはありましたが、数日で改善するため大したことはないだろうと思い、そのまま放置していました。 それから何年かたち、歯がグラグラし食事にも支障をきたすようになったため、再度歯科を受診しました。
歯肉が腫れている時というのは歯周病の活動性が高まっている時です。要するにこの時に歯周病は急速に進行しているわけです。同じ部位が何度も腫れるたびにその部位の組織の破壊はどんどん進みます。本来はできるだけ早めに進行を食い止めなくてはならないのです。ちなみに歯がグラグラし始めた時には既に相当に重症ですが、わけても食事に支障をきたすほどグラグラしている時は抜歯しなくてはならなくなっていることが多いのです。
「悪循環3」
診査の結果、歯周病は相当に悪化しており、特に状態の悪い歯2本については抜歯しなければならない状態でした。Aさんは抜歯しないで治療はできないかと希望しましたが、 その歯科医院ではその2本については抜歯するしかないと診断されました。 Aさんは抜歯という診断結果に不満をもち、別の歯科医院を受診しました。
抜きたくないという気持ちは全ての患者さんの共通の気持ちでしょう。しかし、グラグラしていて咬む力を支えられないような歯を残しておいても、他の歯にその分の負担を肩替わりしてもらっているだけで、何の解決にもならないばかりか、本来なら抜かずに残せるはずの他の歯の寿命をまで縮めることになるのです。2本抜歯するということは「その2本については諦めるかわりに、その2本以外の歯は積極的に助けましょう」ということなのですが、多くの患者さんの心情としては、目先の2本を抜きたくないということを優先してしまうようです。
「悪循環4」
しかし、次に受診した歯科医院でも抜歯と診断されたので、再び抜歯しないで治療を行ってくれる歯科医院をさがしました。そうしたことをくり返しているうちに歯周病の状態は進行し、1年後には抜歯しなければならない歯は5本に増えていました。
抜かなくてはならない歯を抜かずに問題の先送りをしていると、その歯を支えている骨はどんどん破壊されてゆきます。さらには悪いことに両隣りの歯を支えている骨も溶けていってしまいます。被害は確実に拡大し、犠牲者が増えてゆくのです。ほとんどの歯周病のケースでは、数本だけが侵されているだけなどとということはなく、程度の差こそあれ口腔内全体が歯周病のはずです。自覚症状がある部位というのは非常に病状が進行してしまっている重症な部位なわけで、その他の部位も実は相当に進行してしまっているはずなのです。抜歯するしかないような部位以外の、まだ症状の出ていない部位こそ、早期に積極的な治療をすべきなのです。
「悪循環5」
Aさんは非常にショックをうけました。
歯周病の状態をこれ以上ひどくは出来ないと考え、最後に訪れた歯科医院に通うことを決意しました。しかし、ここでもAさんは抜歯しないで治療はできないかと強く希望しました。歯科医師は「1本も抜歯せずに治療をした場合、歯周病の進行を多少は遅らせることが出来ても、改善することは不可能である。」と言いました。それでも1本でも抜歯することが嫌なAさんは「抜歯せずにだましだまし治療をする」ことを選択しました。
理屈では抜歯しなくてはいけないことを理解しているが、いざ抜歯するかということになると心情的にどうしても踏み切れないでいる、、、こういう患者さんは本当に多いです。実は歯医者の側にも問題があって、抜歯はしませんと言ってあげるとその場では患者さんから喜ばれるので、ついつい患者さんの歓心を買う方向へ走ってしまうことが多いのです。
本当の意味で良い歯医者とは、その場では患者さんには辛いことを言うことになったとしても、長い目で見て患者さんの利益につながることを説明してゆく歯医者であることは論を待ちません。このケースでの歯科医師は、抜かない治療の限界をちゃんと説明している点では評価できると思いますが、、、。
「悪循環6」
Aさんは真面目に2年間通いましたが、その間に抜歯しなければならない部位は何度か歯肉が腫れて痛くなり、歯がグラグラする度合いも徐々に増してゆきました。そして2年経った時には5本のうち3本は本当にぷらんぷらんになってしまい、これにはさすがにAさんも抜歯するしかない、、、という気になりました。
この2年間の治療は、いわゆる対症療法というものです。治療をしても徐々に病状は進行してゆきます。しかし、治療をしなければ歯肉が腫れる頻度はもっと高かったでしょうし、グラグラする度合いはもっと増していたでしょう。
このようなケースはよくあるのですが、歯医者に通ってさえいれば何とかしてくれるだろう、、、という思いで、患者さんは僅かな可能性に賭けたのかもしれません。しかし申し訳ないことなのですが、実際はそれほど都合よくはいかないのです。
「悪循環7」
この時点でAさんはさらに衝撃的な事実を知りました。2年前には抜歯しなくても良かったはずの歯のうち1本が、2年後の今では抜歯しなくてはならなくなっていたのです。
抜歯しなくてはいけないと言われた歯ばかりに関心が集中してしまうのは仕方がないことなのですが、本来ならば抜歯しなければならない程グラグラしている歯をそのままにしているわけですから、周囲の他の歯には相当の負担がかかっています。本来は抜歯すべき歯は抜いて補綴(義歯などを作ること)をする必要があるのですが、それを先延ばしにしているわけですから、2年前に手を打っておけば保存できた歯も抜歯せざるを得ないところまで歯周病が進行してしまうのです。
「悪循環8」
「ちゃんと真面目に通ったのに」という思いから、Aさんは歯科医療そのものに対する不信感を持つようになりました。2年間通った歯科医院からは足が遠のくなるようになり、痛くて困った時だけ色々な歯科医院の門を叩く生活に逆戻りしました。歯科医療に不信感を持ったAさんは、痛くて困っている部位以外の治療は一切拒否し続けました。
これは非常に難しいことなのですが、希望さえ伝えればあとは歯医者が何とかしてくれる、、、そう思っていると、何とかならなかった時には必ず不信感が生じるものです。
そして歯科医療そのものに絶対的な不信感を持ってしまうと、いかなる名医の治療を受けようとも、良い結果にはなり得ないものです。また、転院に次ぐ転院を繰返すほど、各々の歯科医師の意見の微妙なニュアンスの違いがやたらと気になるようになったり、知人の体験談の又聞きや、週刊誌やインターネット上の玉石混交の情報に振り回された挙げ句に、不信感は増幅の一途をたどります。
「悪循環9」
しかし本当に大変なのはこれからでした。Aさんは結果的に多くの歯を失うことになってしまいました。しかも長期間にわたってマトモな歯周病治療をしなかったために、顎の骨が非常に吸収してしまい、 入れ歯も合わない状態になってしまいました。入れ歯はガタつき食事もままならないため、多くの歯科医院を渡り歩き入れ歯を作成しましたが、 満足できる入れ歯はできませんでした。
、、、このような話は決して特別な事例ではありません。
正しい知識と自覚を持つことと、歯医者がなんとかしてくれるのではなく、患者さんも治療に参加することが大切なのです。
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