『医療崩壊は加速するか』


2008年8月、ひとりの産婦人科医に対する無罪判決が下されました。

この判決は、今後、産婦人科だけにとどまらず、日本の医療全体の崩壊を加速させるか否かの重要なターニングポイントであったと思われます。

そこで、この無罪判決の意味するものは何か、ということをこのコラムでも記録にとどめたいと思います。


以下は8月20日の読売新聞の記事より。


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『医療界挙げて被告の医師支援…帝王切開死判決』


帝王切開手術で女性(当時29歳)を失血死させたなどとして、業務上過失致死罪などに問われた加藤克彦医師(40)に20日、無罪を言い渡した福島地裁判決──

今回の公判では、産科の臨床医の権威が弁護側証人として出廷するなど、医療界挙げて被告を支援する形になった。

背景には、1999年に東京都内の病院で起きた点滴ミス隠し事件などを契機に広がった医療不信の中で、難症例を扱った医師が逮捕され、深刻な医師不足を招いている現状への危機感がある。

医療不信の広がりは、横浜市大病院で2人の患者を取り違えて手術した事件と、都立広尾病院で誤って主婦に消毒液を点滴して死亡させ、ミスを隠そうとした事件が99年に相次いで起きたことが契機になった。

以後、遺族の処罰感情などを背景に捜査機関が医師個人の責任を問うケースが急増。
2002年には東京慈恵医科大付属青戸病院で、経験のない医師3人が難度の高い腹腔鏡下手術を行って患者を死亡させる事件も起きた。警察庁によると、警察から検察への送致件数は、99年の10件から00年は24件に増え、06年には98件になった。

捜査とは別に、厚生労働省は05年9月、病理解剖学などの医療関係者と法律家で構成される医療版「事故調査委員会」を4都府県でスタートさせた。

こうした状況の中、06年2月に加藤克彦医師が逮捕された。
その直後から日本産科婦人科学会など100近い団体が抗議声明を出したのは、「わが国の刑事裁判史上かつてない」(弁護側)状況だった。
事件で問われたのは、女性の胎盤に対する処置。女性は胎盤が通常より低い位置にある「前置胎盤」で、産道につながる子宮口を完全に覆っていた。
さらに「癒着胎盤」を起こし、胎盤を無理にはがすと大量出血する恐れがあった。
癒着胎盤の処置を巡り、公判では「子宮摘出に移るべきだった」とする検察側と、「最後まではがすのが標準的な医療」とする弁護側が激しい応酬を繰り広げた。

弁護側は、周産期医療の権威とされる池ノ上克宮崎大医学部長と岡村州博東北大教授を証人に呼んだ。2人は「被告の処置に間違いはない」と述べた。

これに対し、検察側の立証は押され気味となった。検察側証人の田中憲一・新潟大教授は「はがすのが難しくなった時点で、直ちに子宮摘出に移るべき」と証言したものの、どの時点で子宮摘出を決断するかについては、「そこは医師の判断」と断言を避けた。

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この事件の流れは以下のようなもです。


  1. 妊婦は大野病院を受診。診断の結果、前置胎盤が分かる。
    加藤医師は出産時の危険性を説明し、大学病院での分娩を勧めたが、「大学病院は遠い。交通費がかかる」と妊婦と家族は地元の大野病院で分娩を希望した。
  2.  
  3. 希望に沿って大野病院で出産することになった。
    手術の説明をした際、「場合によっては子宮を摘出する」と加藤医師が話すと 、「3人目も欲しいので絶対に子宮は取らないで欲しい。」と妊婦は子宮温存を強く希望。

  4. 分娩当日。帝王切開、胎児摘出後、予見できなかった癒着胎盤が存在。
    力を尽くして処置したが、子宮温存は困難と判断して摘出を行い、なんとか救命できたかと思った直後に心停止に至り、母体を助けられなかった。

  5. 病院・医師の処置や判断や手続きに過誤は認められなかったが、不幸な結果に至ったことに対し遺族に全く償いがないことはあまりに非情ではないか、と病院内部で検討して”過誤”があったことにして病院から賠償金を支払う決定をした。

  6. 遺族はそれでも執刀した医師に対する恨みは消えず、遺族とともに墓参りに同行させた際に墓前での土下座を要求し、医師はそれに従った。

  7. 福島県警・福島地検は”医療過誤あり”との病院から遺族になされた報告に、「業務上過失致死罪」が適応されると判断。

  8. 母体死亡から一年以上経過してから、加藤医師の妻が出産を控えている時期に、逮捕する日時をマスコミに伝え、わざわざ仕事中の医師をテレビカメラの前で逮捕。(凶悪で逃亡の恐れがあるからと、逮捕した富岡署は後に県警本部長賞として表彰された)

  9. マスコミが医療過誤として報道するが、癒着胎盤という疾患の難しさを知る医療界は全国で「不当逮捕ではないか」と疑問の声が出る 。

  10. しかし、そのような抗議を無視して地検は起訴を決定し裁判に至る。
    妊婦の遺族は「医療ミスで亡くなった娘の真実が知りたい。」「医師としての責任をとれ」と話す。

  11. 遺族は公判で繰り返し謝罪した加藤医師に対し「わびるなら、娘が生きている間になぜ医療の手を差し伸べてくれなかったのか。絶対許さないという気持ち」と怒りをあらわにした。



この事件で、加藤医師を逮捕、勾留、起訴したことにより、様々な影響が出ることになります。


以下は8月21日の読売新聞より

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(前略)

事件は、地域医療に大きな影響を与えた。

大野病院から約50キロ離れた福島県いわき市。市立総合磐城共立病院の産婦人科は2007年度、他の医療機関からの紹介患者が前年度の2・4倍に急増。
事件後、リスクの高いお産を敬遠する動きが強まったことに加え、医師不足に悩む市が同病院に産科を集約したからだ。
医師5人が担うお産と手術は年間計約1500件。
本多つよし部長(48)は「体力的にも限界」と話す。

(中略)

今回のように逮捕されないまでも、医師個人の刑事責任が問われるケースは増えている。
警察から検察庁への送致件数は、1997年の3件から07年は92件に増加。医療不信の高まりを受け、捜査当局が積極的に捜査したことに加え、99年に起きた東京都立広尾病院点滴ミス事件で、当時の院長らが医師法(異状死の届け出義務)違反に問われて以降、医療関係者からの届け出が急増したことも背景にある。

刑事介入の増加は、近年の医師不足で現場の疲労感が増す中、医師側に「結果が悪ければ、一生懸命やっても刑事罰に問われる」という反発や委縮を招いた。

(後略)

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まず、この事件に限らず全ての医療行為の大前提として、どんなに医学が発展しても、成功を100%保障するなどということはこの世に存在しないということです。

特に周産期に関しては、過去に産婦人科の医師が頑張った歴史があるから、お産の死亡率が減ったわけで、そもそも「お産で死ぬなんておかしい」と考える方が間違っているのです。

今回の事件で、もし医師が有罪になるのだったら、難度が高い症例の場合は、医師に自由に治療を断る権利を与えないといけません。

要するに、医師側は「症状相応のリスクを受け入れる覚悟が患者さん側にないなら、医療を施しません」というスタンスを貫かねばなりません。

もっとシンプルに平たく言うと、「頑張った末に助けられなくて、それで殺人犯にされるなら医者なんて誰もやらない」ということです。


ちなみに上記の事件の流れの3.にある癒着胎盤とは、1万件に1回あるかないかぐらいの、産科医が人生で一度経験するかしないかのようなまれな症例で、なおかつ癒着自体を事前に知ることは不可能です。

本件では、患者の依頼により、ぎりぎりまで子宮保存のために医師は頑張ったのですがが、結局子宮摘出になり、摘出完了後に合併症で死亡しました。

この件で問題なのは、より安全な選択肢を医師から提示されたにもかかわらず、自己責任で危険な選択肢を選んだ患者と遺族が、その選択によって起こった問題の責任を医師に全部押し付けて、刑事事件の被害者として扱われてしまっているところです。



ちなみに、今回のマスコミの報道も、それは酷いものでした。


以下は読売新聞の記事です。

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「なぜ事故が」…帝王切開死、専門的議論に遺族置き去り


 渡辺さんは判決前、「なぜ事故が起きたのか、なぜ防げなかったのか。公判でも結局、何が真実かはわからないままだ」と話した。

 あの日、妻(55)から「生まれたよ」と連絡を受けて病院に向かった。ハンドルを握りながら、娘に「もうすぐクリスマスとお正月。二重三重の幸せだな」と声をかけようと考えていた。

 病院に着くと悲報を聞かされた。1か月前、左足を縫うけがをした渡辺さんを、「体は大事にしなよ」と気遣ってくれた娘だった。

 帝王切開で生まれた女の子と対面した娘は、「ちっちゃい手だね」とつぶやいたという。これが最期の言葉になった。娘の長男が「お母さん起きて。サンタさんが来ないよ」と泣き叫んだ姿が脳裏から離れない。

 「警察に動いてほしかった」と思っていた時、加藤医師が逮捕された。

 「何が起きたのかを知りたい」という思いで、2007年1月から08年5月まで14回の公判を欠かさず傍聴した。証人として法廷にも立ち、「とにかく真実を知りたい」と訴えた。「大野病院でなければ、亡くさずにすんだ命」と思える。

 公判は医療を巡る専門的な議論が中心で、遺族が置き去りにされたような思いがある。


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「とにかく真実を知りたい」のに「医療を巡る専門的な議論」をするなとでも言うのでしょうか?。

遺族の感情だけを根拠に判決を下せとでも言うのでしょうか?。


上記の記事は、なんの根拠も無く、ただ遺族の言動を美化することだけに終始しています。

もっとも、マスコミは今までこの手法で、さんざん国民の医療不信を煽動してきたわけですが、、、。



医療崩壊の最終到達地点とは、、、
「どうしてもこの医者が許せない」という患者側の感情に対し、
「患者が死にかねない場合は処置を施さないでたらい回しにする」という態度を医療側が貫くような、そんな社会になってしまうことなのだと思います。




ところで、事件の流れ4.についてですが。

この4.の部分は、ある意味で非常に日本的というか、そんな面があって興味深い箇所です。


要するに、わかりやすく記すと、、、

  1. 医療死に関する保険制度は医療側に過失が無いと払われない。
    要するに医者にミスが無ければ、患者が死んだという事実のみ、、、それで終了。

  2. 大野病院はそれでは遺族が可哀想だからということで、、、
    「書類上では医者に過失があった」ことにして保険金を出そうとした。

  3. そこで警察は「書類で過失があるって言うんだったら医師法21条と過失責任で罪が問えるだろう」と介入して来た。

  4. 当然、過失が無いわけだから罪に問えるわけも無く検察は敗訴。

結果として残されたのは、逮捕・勾留され法廷に引きずり出されたた医師、保険金をもらえなくなった遺族、公立病院から産科医がいなくなった福島県民、現場から医師が減ったことであぶれた全国のお産難民、、、。


このような「良くも悪くも日本的」と言える病院側の配慮や気遣いは、今後は激減してゆくのでしょうね。

この類いの配慮や気遣いは、表立って出来ることではなく、決して褒められたものでもないし、厳密には良くないことなのですが、こういうことが完全否定される社会というのが果たして本当に住み良い社会なのだろうか?、ということも考えさせられたりします。

今回は、この病院側の配慮・気遣いに、遺族と警察・検察がつけ込んでしまったという裏の側面があって、事件をさらにややこしくしています。


よく「医者も所詮は人間だから、間違いもある」などと言いますが、「一切間違いがなくても死ぬときがある」ということを、我々は認識しなくてはいけません。

しかし「それでも最大限、医者の責務は果たして貰わないと困る」というのが今の日本国民の大多数の意見でしょう。

たしかにそのとおりなのですが、医師は大して増えていないのに要求される仕事の量が急激に増えているのです。

既に、医師にでき得る仕事の上限を超えてしまっているから、責務と思っていても、できずに放置される仕事がどんどん出てきているのです。

救急のたらいまわしと言われる現象などもひとつの表れです。

それに加えて「力を尽くしても結果が悪ければ糾弾される」ことが拍車をかけているのです。




それにしても、、、

道で死にそうな人がいて、救急蘇生を施そうとしたがうまくゆかず、亡くなったとします。

挙げ句、「お前の心臓マッサージが下手だったから死んだんだ。妻を返せ」

、、、などと言われた日には、、、


いつかそんな時代が来るのでしょうか。




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